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『ポワラーヌのパン料理』を読んで
固くなったパンが、教えてくれたこと

この本を読んだとき、何気なく最初に開いたページの目に飛び込んできたのはレシピの材料欄だった。

「固くなったパン」

それが、ごく自然に材料として書かれていた。
特別な説明もなく。
まるで、野菜や調味料と同じように。

その一行に、しばらく手が止まった。

パンを焼く仕事をしていると、
「固くなったパン」は常に頭の片隅にある。

残ったパン、時間が経ったパンは固くなるのが自然だからだ。それは避けられない。
だからイベントで残ったパンはラスクにしたり、クッキーに再生したりする。

柔らかいパンを好む一部の日本人が固くなることを不快と思う人もいる。

でも、ポワラーヌさんはその前提から違った。

固くなったパンを、次の料理への入り口として捉えているからだ。

本の中には、固くなったパンを使ったレシピが何気なく、でも確かに散りばまれている。
スープ(ポタージュ)に砕いて入れる。
すりおろして衣にする。
砕いてグラタンに重ねる。
どれもそこまで手が込んでいない。
でも、どれも自然な家庭料理だ。
固くなったパンを「使い切る」のではなく、固くなったパンだからこそ生きる料理がある。
そう言いたいのだと、読み進めるうちにわかってきた。

これは、食材への敬意だ。
そして、パンそのものへの深い信頼だと思う。

ポワラーヌのパンが固くなっても料理になれるのは、小麦、塩、水、ルヴァン(発酵種)という設計で最初から焼かれているからだ。
しっかりした焼き色。水分を抱える生地。噛み応えのあるクラム。ルヴァンの酸味。
それは「固くなっても生き続けている」パンの条件でもある。
お客様にお渡ししてから、数日後、数週間後(冷蔵保管)の食卓まで届いている。
そのことに、職人として静かに震えた。

Itami Bakeryとして、自分が焼くパンもポワラーヌさんの理念から影響を沢山受けている。
お客さんの手に渡ったあと、そのパンはどうなっているだろう。
固くなったパンは、どのように食べてもらえているだろうか。
固くなっても、その先に美味しさがある。
食べ方の提案ができるようになることも、パンの楽しみ方を伝えることも、パン職人として大切なことだと思う。

時間が経っても、食卓で役に立てる。
そういうパンを焼くことが、昔も現在も未来もパン屋としての誠実さ貫くことなんじゃないか——この本を読んで、改めてそう思った。

パンは、売った瞬間に終わりじゃない。
お客さんの暮らしの中で、まだ続いている。

その「続き」まで、責任を持って焼いていきたい。
そう思わせてくれた本でした。